月日というのは簡単なもので、数字を数えるだけでどんどんと通り過ぎていく。自由だった子供の頃とは違って、段々社会に囚われる人間になっていくのが幸也は嫌だった。受験、という壁があって、乗り越えたらもう半分は大人の仲間入りだ。幸也は高校なんか行きたくない、と言った。けれど、幸也の親は受験するように言った。頭が悪いわけではなく、むしろいい方だった幸也は、親や学校が与えたテキストや問題集は全て解いてしまった。中身は全て幸也の脳内にある。そして春、ほとんどの受験生が不安や期待に押しつぶされている頃、幸也は当然かのように県内の公立高校にトップで入学した。



入学してしばらく経った、夏の終わり頃。幸也は妙な感覚に襲われた。街ですれ違った、こちらを見ていた少女。何気無く見遣ると目が合って、そして頭痛がした。目をそらすと頭痛は消え、また日常に戻った。別に其れくらいの事、普通は忘れるものなのだが、どうしてもその少女の事が頭から離れなかった。少女のことが、というよりは、少女の目が、だ。色んな感情が入り混じったような、混沌した目。あんな目を、幸也は今までに一度だけ見たことがある。それを思い出そうとした瞬間に頭痛がして、考えていた事も全て忘れてしまった。





ふとそんなことを思い出して、幸也は一人苦笑いした。高校に入学して半年以上が経った。毎晩散歩に出ることは、もうほぼ日課として成り立っていた。煙草に火をつけ歩き出す。足はなんとなく駅へ向かった。あのことを思い出したからかもしれない。と、ふと我に返った時に駅前に立っていた幸也は思った。

別に何かがしたいわけではなく、家にいると窮屈だからだ。部屋が狭いという意味ではなく、息苦しい。昔は仲の良かった両親も、今では同じ家の中での別居生活のように口をきかない。もう5年ほど、両親が話しているところを見ていない。そんな家が嫌で、幸也は昼間は学校夜は外出という手段をとっている。

駅を見回してみると、まだまだ人通りは多い。その中で目に付いたのは、10人くらいの若者の溜まり場。笑い声が大きく、話の内容が丸聞こえだ。幸也はしばらくその集まりを見ていた。

5分ほど見ていただろうか、若者たちが少し歪んだ。何だ、と思って目を凝らすと、若者たちの集まりの中に、一人少女が増えていた。一人だけ身長が少しだけ小さい。服装は他の若者たちとなんら変わりないのだが、身長が低い所為で幼く見える。けれど、聞こえてくる話内容から、少女が受験生だということが分かり、やっぱり年下なんだ、と再確認した。



集まりが少し歪んで、幸也も一旦見る行為を止めた。が、幸也は何か思い出したようにもう一度集まりを見た。

「あの時の・・・・・?」

数ヶ月前のあの出来事の少女ではないのか。幸也は考える。数ヶ月前の人の顔まで覚えている自分が気持ち悪く思えた。でもそんなことは関係ない。気付いたら幸也はその集まりに近づいていた。



「なあ、」

幸也が声をかけると、はじめに反応してくれたのは少女ではなく集まりに居た女性の一人だった。

「ん、アンタ誰?見たことないんだけどー。」

濃い化粧でダルそうに喋る女性に、数人が反応した。その中には、あの少女も含まれていた。少女はこちらを振り向いた瞬間、なんともいえない表情をした。数秒考える表情をして、幸也に向けて3歩足を踏み出した。



「あの・・・」

「やっぱしお前、あん時の子やんね」

「う・・・・・・」

「あん時さ、何で見てたん?」

「あ、いや・・・別に理由は・・・・」



自分より背が高い幸也(もちろん少女は名前など知らないが)に少し脅えながら目を逸らし気味に曖昧な反応を返す。本当に理由などなかったのだ。只なんとなく、目について離れなかっただけで。なちがどう返事を返そうかと迷っていると、集まりの内の一人が口を出してきた。



「なちちゃん苛めるのやめれよ」

「・・・苛めてるわけちゃうし」

「じゃあなんさ」

「前にこいつが俺んことめっちゃ見てたから何やろて思っただけや」

「ん?なちちゃんの知り合いか」

「知り合い・・・・っていうか・・・・・」



男はなちに話を振ったが、なち自身もよくわからない。返答に迷うが、いい答えが出てこない。知り合い、というか一方的に見ていただけだし、其れまでは顔も見たとがなかった。でも、何故か何かを思い出しそうになった。何を、なのか。思い出せないまま気持ち悪い感情に囚われていたなちには、何も言えなかった。幸也は、ため息を一つ吐くと、なちの首から提げられたカメラを手に取った。



「お前写真撮んのか」

「あ、うん」

「へぇ。俺も写真は好きやわ」

「ほんま?ええよね、写真。綺麗やし、撮るのも楽しいし!」

テンションの上がったなちは、写真についてぺらぺらと話し始める。さっきまで脅えていたのが嘘のようだ。幸也はちゃんと相槌を打って、会話という行為を成立させた。集まりの人たちは、なんだか複雑な表情をして2人を見ていた。



「やっぱ写真って大事だと思うんだよねー。」

「ん、まーな・・・・・」

「え?」

「いや、何でも。てーかさ、俺そろそろ帰るわ。ちゃんと答え聞けへんかったし。」

「あ・・・・・」

「いって、もう。めんどい。」

「ごめんなさい・・・」

「んでさ、また話したいから、ケー番教えてくんね?」

「あ、うん・・・!」

暗くなったり明るくなったり、忙しいやつだな、と幸也は思った。幸也自身、なちの性格は嫌いではなかったし、別にちゃんと答えを聞きたかったわけではない。普通の人は、そんなこと忘れて生きていくものなのだから、もしかしたら忘れているかな、と思って話しかけたのだ。というか、普通は忘れているのだろう。幸也は思いを巡らせながら、携帯が赤外線を受信するのを待っていた。



「ねーねー、なんて名前?」

物思いに耽っていて、突然話しかけられたので、始めは目の前の少女が何を言っているのかわからなかった。

「は?」

「だからさ、登録するから、名前教えて?」

「ん、あぁ。幸也。」

「こうや・・・・・苗字は?」

「んー、苗字嫌いだから言わね」

「えー・・・・・」

微妙な顔で見られた。幸也は自分の苗字が嫌いで、滅多に人に明かさない。みんな幸也、と呼ぶので、他の人も釣られて幸也と呼ぶ。苗字で呼ぶ人など、幸也の身近には居なかった。



「じゃああたしも名前だけね。なちだよ」

「ん、なち・・・?」

「うん、珍しいっしょ」

「いや、そうなんだけど、何か聞いたことあるような気がする・・・」

「友達?」

「なんだろ、わかんねー」

首を捻る幸也に、なちは少し笑った。



そして、「またな」と言い残して幸也はその場を去ったが、なちも正直幸也という名前に聞き覚えがあった。どうしてもあの少年、幸也は引っかかる。なちは不思議な感覚にとらわれている事がとても気になって、その日以降、何かから逃げるようにたくさん写真を撮るようになった。











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