月日の上としては夏が終わろうとしていたが、まだまだリアルに暑い9月中頃。なちはカメラを持って外に出る。中学の入学祝いに祖母に買ってもらった物で、なちはそのカメラをとても大切にしていた。誰も居なくなった家のドアを開け、外の空気を吸い込む。昨晩雨が降った所為か、少し湿気が多いみたいだ。蒸し暑さに負けずになちは家から離れた。
「あの子、また・・・・・」
「やだわぁ、最近の子って・・・」
近所のおばさん連中の話は嫌でも耳に入る。聞こえるように言っているのかどうなのか。主婦は忙しいとか言いながら昼間っから公園に溜まってダベってんじゃん、と思いつつなちは滑り台の上から降りる。
学校に行っていないなちは、大体毎日この公園に来る。写真を撮るためだ。ここにずっと居るわけではなくて、散歩のような感じで歩き回っている。一番初めに必ず来るのがこの公園なのだ。だから、毎日おばさん連中とも出会う。おばさん連中は、毎日学校に行かずに写真を撮っているなちを見ては話を始める。なちもそれは重々承知だ。どうせなちが居なくなると、話題は別のものに変わるのだろうし、どうでもいい。となちは考える。30分ほど公園に滞在すると、なちは公園を出た。動く足が行く先は、駅。
なちが家を出たのが既に昼を回っていたので、早い人ならもう学校から帰ってきている時間だ。駅前には少なからず制服姿の若者が見られる。なちはそれらを見て、首から提げたカメラで一枚撮る。
「現代、ってとこかな・・・」
人々はなちの傍を足早に通り過ぎていく。今の社会で目まぐるしく働く人たちには、こんな時間から私服で歩き回る少女など全く目に映らない。誰もなちの存在を気にしないのだ。それはそれでなちには嬉しいことであり、堂々とこんな時間から外を歩ける理由でもある。たまに居る暇なおばさん連中の視線はちょっとだけ痛いが。
「あ、」
なちは小さく声をあげた。なちの視線の先にあったのは、一人の少年の姿。友達と喋りながらこっちに向かってくるその少年を、なちはどこかで見たことがあった。でも誰だか思い出せない。必ず、見たことがあるはずなんだ。なちが凝視していると、少年がなちの視線に気付いた様で、一瞬視線をなちに向けた。目があった瞬間、頭痛がして、ぱっと反射的に手で頭を抑えた。
「・・・っつ・・・・・」
なちが頭を抑えた瞬間、少年も一瞬だけ顔をしかめた。それはなちの不審な視線に対してのものなのか、それとも他の理由なのか、なちには分からなかった。
少年はすぐに視線を反らすと、また友達と談笑を始めた。なちと少年の目が合ったのはほんの1秒もなくて、それでもなちは脳内がぐるぐるするのを感じた。自分が何を考えているのか分からないけど、それを必死で理解しようとしてまた情報の海に溺れる。海で溺れて、空気を吸い込もうとして海面に出るが、同時に海水も吸い込んで余計に苦しくなるときの感覚。引っかかるのだけれど、それはすぐに後方に流されていって、掴めない。掴もうとした瞬間、それは逃げてしまうのだ。もどかしい感覚にまだ続く夏の日差しが加わって、なちは傍にあった柱に寄りかかった。
「気持ち悪・・・」
少しだけ、頭痛の余韻が残る。もう頭を抑えなくてもよさそうだ。10秒ほど休んでいたなちだが、はっと気付いたようにカメラを手に取る。少年が歩いた方にカメラをすぐさま向けるが、少年はもう其処には居なかった。見えるのは、唯溢れかえった人ごみだけだ。なちは肩を落として、自分に呆れた。そして、今の少年を思い出そうとする。
けれど、人間の脳はそう上手くは出来ていなくて、ぱっと見ただけの人の顔など瞬時に忘れてしまう。思い出せるとしたら、髪形くらいだ。あの、ピンで留められた長い前髪。それくらいしかなちは思い出せなかった。何故あの少年がそんなに気になったのかよく分からないけど、多分すぐにあの少年が気になったことさえ忘れてしまう。なちは諦めて、また暑い日差しの中を歩き出した。
カメラが手の汗で濡れていて、とても気持ちが悪い。なちはかばんの中からタオルを取り出してカメラを拭くと、そのままかばんの中にしまった。直射日光はあまりよくない感じがしたから。只の感じ、だ。本当によくないのかどうかは知らない。
夏がもうすぐ終わるなんて、誰もまだ感じていなかった。季節の変わり目など、突然なのだ。
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